一日の始まり

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 09/06/09 今朝はいつものように夜中に何度となく眼が覚め後はうつらうつらとしながら2時半過ぎに布団から起き出る。

 いつものようにパソコンに向かいメールのチェック等をする。

 今朝も肌寒い朝だ。

 窓を閉め長袖でいて調度。

 3時半過ぎ今日の最初のコーヒーをいれまたパソコンに向かい日記を書き始める。

 今日はいつもよりキーボードを打ち直すことが多い。

 脳からの伝達がうまくいかないのか。

 昨日は午前中妻がまた用事があると言って出かけた。

 愛犬はいつものようにひたすら伏せをし待っていた。

 次男は昨日は前の日にメールで「午前中でかけていない」と送っていたからか昨日は家にやって来なかった。

 お昼を食べ少しお昼寝をし後は前の日に撮ったビデオ鑑賞。

 17時前に長男が入院している精神病院へ妻と出かけた。

 昨日は医院長先生から面談をしたいと言われたから。

 病院について30分ほど待って診察室で先生と話し始めた。

 最初に先生から「入院したのは平成・・・」今年何年だっけ中々思い出せない・・。

 手帳を見てそうだ平成21年・・とやっと思い出した。

 「入院したのは平成18年で去年はこの状態では退院してもご家族が大変だと思いさらに入院・・・」と話し始めた。

 もう入院して3年と数日になる。

 話は退院に向けての話の気がしたので「退院した後また薬を飲まなくなったり病院に通院しなくなったりすることが心配」「前のように暴れたらもう私も年で力づくではつれて来れない」と言う退院後のことを話すと先生は「退院後は病院から様子をうかがうようにします」「力づくでは・・やはり本人から来るようにしないと」と言うようなことを言っていた。

 とにかく前歴が・・・・一度目の入院は宮城県の名取市熊野堂にある病院で入院3ヶ月通院9ヶ月ほどでせっかく状態が良くなり退院したのだがその後が・・・。

 退院後しばらくして「飲んだ」と嘘をついてゴミ箱に捨てて薬を飲まなくなってせっかく入院して良くなりかけたのがますます状態が悪くなってきてしまった。

 それで二度目の入院となったわけで二度目の入院してから退院後もやはり薬を飲まなくなり通院もしなくなってしまい三度目の入院となってしまった。

 その事が一番心配だったので先生に今までの入退院の経過を話した。

 それと長男が「ディーケアーに行かなくて良いと先生と看護師さんに言われた」と言うようなことも言っていた言うと「そんなことは絶対に言ってはいません」と言っていた。

 長男が自分に都合の良いように言っていたのはわかっていたが。

 これからのことを話し始めいづれ退院させることで「これから外泊を繰り返して行きましょう」と言うことになった。

 長男が言うように毎週は・・・二週間に一回から始め一泊二日から二泊三日と長く外泊をさせ様子を見ることになった。

 妻は「今年中に退院させたい」と言っていたが私はまず様子を見てからと思ったがその場では何も言わなかった。

 約30分ほど話病院を出て家に戻った。

 疲れた・・・。

 話好きではないので家に戻ると疲れ少し興奮してしまったのか中々寝付けなかった。

 仕事をしている時も人と話をすることが多い日は特に精神的に疲れてしまっていた。

 今日は私が通院の日。

 次男は8時からのアルバイトで6時に携帯を鳴らすことにしている。

一日の始まり

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 09/01/30 今朝は1時2時?三度目の2時半ごろに布団から起き出しストーブをつけパソコンの前に座りタバコを吸いながらメールのチェックをする。

 今朝も昨日と同じくらい暖かい朝のような感じがする。

 4時ごろいつものようにコーヒーを入れまたパソコンに向かい日記を書き始める。

 久しぶりにカーテン越しに窓の外を覗くと高速道路を照らす外灯の明かりと走るトラックのライトの明かりが見える。

 高速道路を見るたび思い出すのは長男が宮城県名取市の熊野堂にある精神病院へ入院していた時の事。

 毎週面会に高速道路を法廷速度以上?で走って面会に行っていた。

 今思えば毎週雨風雪が降っていても面会に行ったものだと自分でも感心する。

 毎週面会をすることは入院する時医院長先生との約束だったから続いたのかも知れない。

 「入院させてそのままほっぽりだしておくんだろう」と言われて「いいえそんなことはありません毎週面会に来ます」と約束をしたのだった。

 あの時は何とか長男を入院させなければ・・とただ必死になっていた。

 長男も最初は嫌がったが何とか説得して入院させたのだった・・・。

 まだあの時は長男もある程度理解出来る状態だったので入院させることも出来たのだが・・・今は何であんな風に人の言う事が理解出来なくなってしまったのだろうか・・・。

 あの時「薬を飲んだ」と言うのを信じてしまい良く見ていなかった親の責任もあるのだろう・・・。

 この前長男から手紙をもらった日の夜長男の夢を見たのだがそれからだったか前からだったか思い出せないが・・・私が長男と一緒に入院して生活をする妄想夢・・・・自分でも良くわからないがそんな事を考えた?ことがあった。

 一緒に入院して長男を何とか・・・と思ったのだろう・・・。

 ただただ長男が不愍可哀想とふと思うことも・・・・。

 次男も何で・・・こんなになってしまったのかとこれも親が日々の様子を見ていれば良かったのだろうが・・・。

 あの時は毎日長男が暴れだし「長男」「長男」と毎日その事ばかり・・・。

 仕事へいっても頭の中は「どうしたら・・・」「何処かよそへ引越しをして環境を変えれば・・」と思い次男に話すと「俺は生まれたこの内が良い」と言うし八方ふさがりの状態だった。

 長男が入院してくれたから次男も何とか今薬を飲みながらでもアルバイトを出来るくらいになった。

 これから長男をどうして行ったら良いものなのか・・・。

 退院させても今度は次男に影響が出ないか等と考えるだけ・・・・。

 

 昨日は本当に春を思わせるくらいお天気が良かった。

 私の体の調子はお天気と比例しないようで調子はいまいち・・・・いつものとおり。

 仕事から家に帰って二階の部屋へ行き着替えをして居間に行くと次男が夕食を食べ始めていた。

 「ただいま」と言いいすに腰掛夕食を食べ始めるといきなり「お父さんパソコン」「今日パソコンを買うのを忘れてしまった」と言っていた。

 他に楽しみが無いからか今は携帯も買い換え考えることは「パソコン」しかないのか・・。

 足元を見ると愛犬がいつものようにえさをねだっていた。

 次男の「パソコン」に気を取られ気づかないでいた。

 ジャッキーを上げたがすぐに食べ終わりまた側へきてねだっていた。

 次男と同じでいくら食べても気がすまない?のだろうか・・。

 夕食を食べ終わり部屋に戻っていると次男がやって来て「パソコン」とまた言い始めた。

 やがて妻が愛犬と部屋へやって来た。

 いつものように妻が私の足をさすり次に次男の体をさすっていた。

 その側で愛犬は気持ちよさそうにして人間並みのいびきをかいて寝ている。

 次男が仰向けに寝ている姿を見たらおなかが異常?にぽっこりと着ている服からはみ出して見えた。

 とにかく朝は食べないのだがお昼夜となると異常なくらいに食べている。

 一時本人は気にしたようで一日一食と言いながら食べていたのだが「一日一食食べてもやせるわけではない」と言ったからでも無いが自分で「やせないじゃ」と言ってまた食べ始めた。

 夜になると精神的なもので食べないといられないのだろう・・。

 私も自律神経失調症になるまでは異常に夜になるとおなかがいっぱいになるまでお酒を飲んでさらに何かしら食べていた。

 そうしないとイライラと?して眠れなかった・・・。

 次男と私は違うのかもしれないがやはり精神的なものなのだろう・・・・・。

 「パソコンを買いたい」と言うのも買わないといられない精神的なものなのだろう・・・。

 今日は次男は13時からのアルバイト・・・私は今週今月最後の仕事へ・・・・・。

 明日は長男の外出でまたいつものように妻と向かえに・・・・。

 隣の部屋から次男のいびきが聞こえてくる・・・・。

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一日の始まり

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 08/12/28 昨日の夜は長男の相手をして疲れ果て確か20時ごろには寝てしまい出かけていた次男が帰って来た時にまた目が覚めた。

 時計を見たら21時頃のように見えたがその後また寝て22時ごろに目が覚めまた寝ての繰り返しで1時2時と目が覚め一度2時に起きパソコンに向かいまた寝て3時半ごろに起きた。

 今朝は室内の温度は8℃ぐらいだが外はかなり風が強く吹いている。

 いつものようにストーブをつけコーヒーをいれパソコンに向かい日記を書く。

 昨日は一日中雪が降り朝は次男が出かけるころ私が少し雪かきをしその後妻が朝晩と雪かきをした。

 整形外科へ通院した後妻と長男を向かえに精神病院へ出かけた。

 いつものように受付で話をして病棟へ行くと鍵のかけられた戸の向こうに長男が立って待っていた。

 看護師さんに鍵を開けてもらい中に入り「おはよう」と声をかけたが返事がなく更に二度ほど声をかけるとやっと「おはよう」と返事が返ってきた。

 昨日はこの前よりは状態が悪い感じがした。

 看護師さんに許可証とお昼の薬をもらい家に戻った。

 道路は除雪した跡で滑り緊張しながら車を走らせた。

 お昼を食べお昼寝をしようと布団に横になり目をつぶっていると長男がやって来て何かしら話しかけてきたので寝られなくなった。

 人が寝ていようがいまいが関係ない感じないのだろうか。

 13時半ごろ次男がアルバイトから帰ってきた。

 手には買い物のビニール袋を持って。

 「今日雪かきもしたから疲れた」「今日は一人でレジうちをして一円も間違わなかった」と得意げに大きな声で話をした。

 いつも何かしらちょんぼしていたので余程うれしかったのだろう。

 買い物袋をテーブルに置いて見るとデザートからお弁当まで入っていた。

 聞くと期限切れの食べ物をもらって来たのだそうだ。

 この前期限切れのお弁当を三つもらってきて一人で全部食べてしまったそうだ。

 楽しみは食べることと何か買うことだけのようだ。

 次男がもらって来たデザートのひとつを長男に上げるとまた妄想わけのわからない事を言っていた。

 長男は昨日は落ち着かないで何度も私の部屋へ来て「1月1日外泊?」と聞いていたり「お父さんタバコ」と四度ほど来ていた。

 「お父さんコーヒーいれて」と次男が珍しく私に言ったのでコーヒーを入れてあげると「やっぱりお父さんはコーヒーを入れるのうまい」とお世辞?を言っていた。

 部屋へ戻ると次男がやって来て「今度は何を買うかな」と言うので「この前ベルトとジーパンを買ったんだろうその分まだ働いていないのだろう」と言ったら「そうだった」と言っていた。

 働いてもらうお金で何かしら買い楽しんでいる。

 次男の携帯が鳴り次男が携帯を見るとメールが来たようで「元気か」と書いてあったようだ。

 また携帯が鳴り次男がメールを見て「久しぶりに遊びに行ってくるかな」と言い出かけた。

 昨日は大分調子が良かった気分良好のようだった。

 それに比べ長男はまた「地下に・・・・」と妄想を何度も繰り返していたが最後に何故か「今日は妄想ばかり言ってごめんなさい」と言っていた。

 後で妻にそのことを話すと妻にも同じ事を言っていたそうだ。

 自分が妄想して言っていることをわかっているのだろうか?

 帰る時間になるといつもなら妻に「布団を片付けて掃除をして」と言われてからするのだが昨日は珍しく何故か言われる前にしていた。

 車に乗り込むのも自分から先に乗っていた。

 1月1日の外泊を楽しみにして「状態良好」と言うことを訴えたかったのだろう。

 妻と長男と車に乗り精神病院へ向かった。

 帰り道は来た時よりさらに溶けた雪が凍り始めたのかかなり滑っていた。

 精神病院へついて看護師さんに今日の様子を話をして長男を預け家に戻った。

 雪の降る冬になると長男が最初に入院した時の事をいつも思い出す。

 その病院の医院長先生に「入院させてそのままかまわないでおくんだろう」と言われ「いいえ毎週面会に来ます」と返事をした。

 妻は面会に着たくなかったようで最初は一緒に面会をしていたのだがその内疲れたからと言って長男が入院している間私一人で通った。

 隣の宮城県の名取市の熊の堂まで高速道路を走り役一時間(法定速度?)あまり。

 雨の日も雪の日もで冬は高速道路を走っていると反対向きにとまっている車があったり急に目の前フロントガラスが真っ白になり前が見えなくなったりしながら。

 退院した後は二週間に一回妻と長男と三人で約9ヶ月ほど。

 合わせて約一年。

 後のときは今のようではなく普通に近い感じまで戻ったのだが薬を飲まなって元以上に悪くなった。

 今日は妻は朝から用事があり出かける。

 次男は16時からのアルバイトで20時までのようだ。

 私は・・・・近くの温泉でも行って足の治療でもするか・・・・な?

 

一日の始まり

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 08/12/20 今朝は12時過ぎに一度目を覚まし二度目は1時過ぎ何だかんだと4度目の3時前には目がパッチリと覚めてしまい3時には起きてしまった。

 その後はメールのチェックをし4時ごろにはいつものようにモーニングコーヒーを入れパソコンに向かい日記を書き始める。

 今朝は部屋のストーブの温度計では11℃を表示していた。

 もう12月の中旬から下旬に入ったのだが朝はそれなりに寒いときもあるが昨日は青空が広がりとても12月とは思えないようなお天気だった。

 天気予報では日中はプラスの10℃ほどで朝はマイナスの世界。

 昨日は次男の自立支援の手続きでいつもより早く出かけ病院へ診断書をもらうために受付をしてから仕事で出かけた。

 仕事の合間に病院へ行き診断書を受け取り次男に自立支援の書き換えの手続きをするように電話をしたが「お父さん頼む」の一言しか返事が返って来なかったのでしょうがないので私が手続きをすることになり手帳と印鑑を持ってくるように話た。

 やがて次男が仕事場へやってきたので手続きの印鑑等を預かり市役所の担当の課へ行き手続きを済ませてきた。

 長男の重度障害者の手続きや自立支援障害者年金などの手続きはすべて私がしてあげた。

 長男が二度目の入院までは統合失調症も治ってくれると信じ期待をしていたがなんともならなくますます悪くなる一方でこれではと思いあきらめ22歳まで待っていた。

 長男は発病が18歳前でそれまで精神科へ通院していたこともあり18歳までさかのぼり障害者年金をもらうことが出来た。

 ただ病院があちらこちらと変わっていたので18歳の誕生日前は一度目の入院をした宮城県の名取市宮城県の熊野堂にある精神病院へ入院していたのでそちらへ行って診断書を書いてもらわなければならないと思っていたがちょうど通院していた病院が変わった時期で地元の病院で診断書を書いてもらうことが出来た。

 しかしいろんな手続きがあり私も手続きのお知らせなどが来ないと忘れてしまいそうだ実際私も忘れていたのだ。

 今日は次男のバイトは店長の勤める時間が朝からなので休みなのだそうだ。

 私はいつもの土曜日と同じく整形外科へ通院しその後は妻と長男を精神病院へ外出の向かえに・・・・・。